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チケットを握りしめて

元アンチが3rdテニミュドハマりして今に至ります

テニミュってたのしいじゃん!

 同じ内容だと思うじゃん? 違うんだよなあ、テニミュ

 

 以前プライベッターを利用して「やべえ、テニミュはまっちまった」的な内容をかいたところ(下の記事)意見を頂いたり、RT先にて色々言われたりして、ツイッターってすごいな~って小学生みたいな感想が出た。

 正直誰にも見られないんじゃね?って軽い感覚でかいたので、RTも思ってなくて。まあ、誰かの目にとまればいいな~くらいの気持ちだった。だから、めちゃくちゃびっくりした。

privatter.net

  

 今回、7回ルドルフ公演みました。初日マチソワ・楽日マチソワを含みます。会場が近くにないので、毎回1遠征1~3諭吉とさようならをします。でも、金は働く限り手元にくると分かった今、迷いはなかった。それに、遠征費だってチケット代だって、すべてが自分のしあわせに変換される。お手軽。それに飛行機とか使っていないので、本当に北海道・沖縄から来る方などに比べれば、遠征ではなく遠足なのかもしれない。

ただ今回は実習やら何やらで忙しくて、都合つかない日もあった。正直行きたかった。

 なんでこんなテニミュってハマったのかな~と思ったんだけど、いくつも理由があって。でも直感的に「ああ、生きてる」を実感できる最高の舞台っていうのがあると思う。会いに行けるアイドルがあるように、会いに行ける王子様なんだよね。

 

  • 会いに行ける王子様

 これだけみると、爆笑もんだなあと。いや、悪気はないけれど「王子様」という単語を原作の「テニスの王子様」以外で、日常で見ないのだ。童話の絵本かディズニーくらい? ややポエムっぽくなるしね、王子様って単語は。まあ、きらきらな単語です。

 さて、タイトル通り「会いに行ける王子様」ってまさにテニミュなんですよ。これが成り立つ理由は、このルドルフ公演で強く実感した。それは「ベンチ」の存在でした。

 

 テニミュには「ベンチ」が存在する。そりゃそうだ、幕が上がったら舞台はコートに変わる。彼らは演技ではなく、テニスをしている。自分の勝利のため、チームの勝利のため応援している。観劇ではなく「観戦」なのではないかなとすら思うのだ。

 そんな彼らを観戦するうえで欠かせないのは「ベンチ」の存在だ。たとえ試合中でも、ベンチでは動きがある。たとえば、ダブルスのペア同士で試合の展開を話す様子。チームメイトと、ボールの動きについて話す様子。もう、見ていて楽しい。正直な話、わたしは試合する様子を見ていない部分たくさんある。ベンチばかりみていた(いわゆる「固定」である)ことだって、数えきれない。

 

 そんなベンチ、なにがすごいってほぼずーっとあるんですよ。試合中、ベンチははけることがない。つまりですよ、舞台の上には必ず役者がいる。ただ試合をしている少年たちだけじゃない、試合を控えている選手や試合を終えた選手がいるわけですよ!舞台に!

 これって、すごい事じゃないですか? だって、テニスの王子様ってただ越前リョーマを指す単語だけじゃないんです(これについてあとでかく) みんなが、誰かの王子様なんです。そう思うと、舞台の上に必ず誰かの王子様がいる。王子様を追えるんですよ。

 

  • 王子様を追える時間

 たとえばです、好きなキャラをAとするじゃないですか。Aは今回試合があるとすれば、Aがコートの上を躍動する姿を目に焼き付ける事ができる。けれど、それだけじゃ勿体ないって思いませんか?

 原作は、どうしても「試合」を描きます。試合後の描写って少ないし、Aがチームメイトとどういうコミュニケーションをとるのか分からないんですよ、読者って。だからこそ妄想したり、創作したりするんですけど。

 そこで、テニミュのたのしさは爆発します。

 

 試合という大きなコマから外れて描かれなくなったベンチ。Aがベンチにあるっていく姿、タオルを貰う姿、汗を拭う姿。もうなんでも見れます。言い方気持ち悪いですが、好きな子の試合をずーっと追える。試合を終えて「あー、疲れた」みたいな顔をするのだって、見られる。

 舞台じゃなく、観戦をして。そして好きな子がどんな動きをするかって、やっぱり目で追ってしまう。それをかなえてくれるんです、テニミュ

 

  • みんなが「王子様」

 原作・テニスの王子様に登場する人物はたくさんいる。学校ごとにレギュラー、レギュラーになれない生徒だっている。例としてあげるならば、荒井先輩だろうか…。

 そんな彼らひとりひとりに、必ずファンの存在がある。絶対的な人気を誇るキャラクターだって、ファンである読者の存在あってこそ。たとえ登場シーンが少なくたって、恋をしてしまえば誰だって、誰かの王子様になれる。

 そう思うと、テニミュは自分の王子様を追える時間を提供してくれる素敵な場所なんだなあとぼんやりと思うようになった。自分にとっての王子様、つまり好きな人をみていられる。それって、なんだか同じクラスになりたかった、同じ学校に通いたかった、あの試合をみたかったなあという感情を思い出させる。原作を読んでいる時に感じた胸の高鳴りが、再び感じるようになるのだ。

 

  • 同じ舞台は二度と来ない

 テニミュは「日替わり」が存在する。公演内容は変わらないが、やりとりだったり、ベンチだったりいろいろなものが変わる。さらにルドルフ公演では、演出がかわって東京凱旋公演からは「On My Way」が追加された。役者は生きているから、毎回違う公演なのは当たり前なのだが、それ以上にテニミュで「同じ舞台」は存在しないと実感させられることが多い。

 例えば、初日の演技と大千秋楽の演技や歌はかなり違う。さらにキャラクターらしくになって、私たち観客の前に彼らは現れる。彼らがメイクをし、衣装をきて、舞台というコートにたった瞬間からキャラクターだけれど、なにかが違うのだ。言葉にはできないが、なにかが違う。

                                         

 同じ演技や舞台は二度とない。これはどんな舞台にも言えることだろう。テニミュ以外の舞台を見た回数が少ないので、比較やどう違うと明確には言えない。けれど、日に日に変わっていく「なにか」を感じたくて、わたしは会場に足を運んでいるのかもしれない。

 

 改めてちらっと読み返したが、思わずやべえなって思うような記事だった。正直、やべえなって感想しかでません。

 けれど、原作への愛をテニミュにもぶつけているので、今後の展開やキャスト、そして公演がとっても楽しみなのは隠しようもない事実なのだ。

 

追記

 プライベッター記事で、青学チムライについて

 公演内容をよく知らないから、DVDをしっかりみようと今から思っている。

 とかいたように、先週買いました。のちほどレポートします。