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チケットを握りしめて

元アンチが3rdテニミュドハマりして今に至ります

どこまでも自己満足な手紙について

 とうとう2月になった。

 最近まで雪なんてなかったのに、先日の大雪により私の家の周りは未だに雪景色だ。カーテンを開けると、真っ白な銀世界が広がっていて寒々しいなと思う。2月という実感はないけれど、肌で感じる温度は寒いものの以前よりあたたかいと感じるので、冬の終わりも近いのかもなあと思った。

                                              

 一緒にテニミュを見に行ったAとふたりで地方公演に行くはずが、私の予定が入りAのみで行くことになった。Aは私の「いかに原作っぽいか」みたいな部分じゃなく、どんな風にキャラクターとして生きているかとか、着替えの回数とか、細かい所を見ている人だ。表情より動きを見るんだなあ、とAの感想を見ると思う。そういう着目点が面白くて、私はAの感想が好きだ。私は気になったらすぐオペラグラスをのぞいてしまう。オペラグラスは便利だけど、別の場所で何かが起こる可能性もある。けれど覗かずにはいられないのは、役者がキャラクターとしてどんな表情をするのかが気になるからだ。

 本当にテニミュおもしろいなあ、と思うのは役者さんがそれぞれ表情の差があることだと思う。キャラクターとしての表情って、やっぱり見ていてわくわくする。例えば、ルドルフ公演で裕太の技による負担を観月が説明するときの、野村と柳沢の表情とか。あそこ好きで、よくベンチの上にいる2人をみていました。あの2人表情がとっても豊かで、ああいいなあとしみじみ思っていた。野村と柳沢じゃまったく表情が違っていて、それぞれ考える事があるんだろうなってぐっとくるものがあったのだ。

 表情豊かなキャラクターの傍にいる何を考えているか読めないってキャラクターも、色々思っているんだろうなあとページをめくる前にじっと見つめるコマを思い出す。そういう細かい表情を見るためにも、手放せなくなってしまったよオペラグラス。

 

 そんなAと一緒に連番したら、絶対に幕間ふたりでうわーーーって急いでペンとメモ取り出して、きっとしばらくして「見た!?」と興奮気味に小声で話すのだと思う。でもお互い別の場所を見ているから、全く違う感想が出るんだろうなって思うとにんまりとする。また機会あれば、Aと一緒に劇場に行きたい。

 そんなAは、私の公演に関する話だけでなく、他の舞台(リンカネとか、これから行きたい作品のはなし)のことをよく聞いてくれる。私が泣きそうになると、Aは毎回笑うのだけれどこっちは笑う場合じゃない!ってなる。けれど「そんな真剣になる必要がある?」とか「広瀬さん泣きすぎて面白い」とか「そこまで感情移入するものなの?」と言われるとね、馬鹿にしているのか!?と思う瞬間がいっぱいあるよA笑

 でも、私もAの立場だったらこいつ泣きすぎて気持ち悪いなって思ってもおかしくないので、笑ってくれるだけAは優しいなあと思う。むしろ、こうして笑って突っ込んでくれるおかげで「私はなぜ、このシーンでこんな熱くなった!?」と考えなおすきっかけにもなる。そして、Aに伝えるために整理もできるのだ。本当に聞いてくれるってありがたいなと思う。しっかし私もなんでここまで泣くのか分からないんだよなあ。でもそれほど、舞台を見てぐわっと感情が溢れるほどに、舞台の発する熱や演出ってどうしようもなく涙を誘うんですよね。

 けれどAがテニミュを見たり、チムライを貸したら。

「あー、泣くのも分かったかもしれない」

 とか言ってくれて、ちょっと嬉しかった。不動峰のチムライを「あれは体育館だよ」とか「チムライ帰りにズタボロに泣きながら会ったの爆笑したけど、分かる気がする」とか。やっぱり私泣くたびにAに笑われてる気がする。

 

 で、よくそのAに「手紙書くの好きだよね」と言われる。

 手紙とはこの場合、ファンレターを指す。

 私は手紙をよく書く。ものを書くのが好き、という理由が一番だけど、話すより文字にしたほうが、改めて考え直すきっかけにもなるし、なんとなく背筋が伸びる気持ちだからだ。それに時間をかけてゆっくりと、普段の文字より何倍も何十倍も丁寧に書く瞬間が、すごく楽しいし無心になれる。(矛盾しているけれど、これ以外に言葉が見つからない)

 それと同時に気恥ずかしさもある。でもペンで書いているとただただ無心になって、ポストに投函した後に、がっと恥ずかしさとか、後悔とか、なんとも言えぬ思いが湧き上がる。この気恥ずかしさ、味わったことがある人いるのではないかなあと思う。

 

 意識してファンレターを書こう!じゃなく、湧き上がる感情が抑えきれず「どうしよう!?」と自分でも混乱するまま、気づけばレターセットを買って、一発で仕上げた手紙を送ったことがある。ちゃんと読み返して何度もチェックしたが、あの時の手紙ほど、今まで生きてきて燃やしてくれと思うものはない。まあ、その手紙が応援する方へのはじめてのファンレターだったんですけれど。本当に、何も考えなしに、公演を観た後に泣きながら「(キャラクター)は実在した!?」と大混乱の気持ちをひきずってレターセットを買った。しかも、大して可愛くもないやつだった。その1セットだけを使って、余っているものが実はレターボックスの後ろの方に仕舞われている。それを見るたびに、何とも言えぬ感情で「うっ」となる。すごく後悔している。

 はじめて送った手紙は、どうしようもない物だったと思う。読んだか読まないかは分からないが、あんな物を(形だけでも)受け取るって、なんだかとんでもなく辛いのではないだろうかと悩んだ。正直いま書いていて、後悔の念が大きな波となって押し寄せてくる。

 その後悔もあって今は、手紙は何度も何度も下書きを直して読み返してから書くようにしてる。あの余ってしまったレターセットは、戒めに近いような気がするくらいだ。

 こんなにも自分の文章を読み返しては推敲するだなんて、きっとファンレターというものに出会わなければ行わなかったかもしれない。

 文章・日本語としておかしくないか、表現は……とまるでセルフ赤ペン先生である。でも、それくらいしないと私の文章はめちゃくちゃなのだ! ブログをはじめて、投稿した後に「あっここおかしい」ってポイントって結構ある。ツイッターとか特にそう。ぱっとした思いつきほど、私の浅はかさを丸裸にするものはないなと思う。

 正直、読み返している途中までは全くいい。本気で書いているのだ、本気で推敲する。本当に一通の手紙にHP・MP共にガンガン削られる。むしろ1文字に何ポイントか消費している。でも、それくらいしないと舞台を見た時に感じた熱量の感想が私は書けないのだ。なんとも燃費が悪い頭である。

 しかし、読み返しも3回目くらいからめちゃくちゃ恥ずかしくなる。私は一体何をしているのだろう、と本気で思う。そして同時に、果たしてこの文章はおかしくないのだろうかという原点に戻る。けれどその山(?)を超えると、まるで修行僧のように無心に写経の如く手紙を綴る。この瞬間、この世の煩悩とか、いろんなものから解き放たれているのではないかとすら思う。一心に便箋にペンを入れつつ、ペンを置いた瞬間に観た映像がぶわーっと頭の中に蘇る。あの集中力を、過去勉強に使いたかったとちょっぴり思う。

 

 そんなファンレターを出すタイミングは、私は大体決まっている。なんとなくだけれど。これ!といった固いルールではなく、自分のタイミングで今だって時に出していたが、気づけばある程度のルールがあるのだなあと思った。そうじゃないと、そんなマメな性格でもないので、そもそもファンレターを出さないのだと思う。よく舞台の公演初日前とか、終わった後、公演に行くときには手紙を書くようにしている。感想が99%(残りの1%は挨拶と結び)なので、分厚い時もあれば薄い時もある。でも便箋は何枚まで、と決めている。これは自分の文字の幅や大きさっていうか、密度にもよるよなあと思う。私は文字がギッチリ・ミッチリ系なので、あまり枚数が多いと読んでいて疲れると思い削るようにしています。枚数より文字数目安だと、次から削るとき楽だと気付きました。

 

 ただ、ファンレターはどこまでも自己満足の世界だと思う。

 この演技がすごくすてきだった、表情が~とか私なりに最高だったポイントって数えきれないくらいあって。ここでこんな顔するのすごい!と感動するけど、それが演じた人が演じたかったキャラかどうかまでは分からないからだ。本当にこればかりは、本人のみ知る事実だと思う。それか近しい人とか。それこそ演出家さんとか。

 だからこそ手紙に書く内容はめちゃくちゃ気にする。けれど、思った感想・感じた思いをある程度ストレートにしてしたためたいのだ。私の場合になるけれど、すごく感動した!とか思わなければ手紙を書くことはないと思う。心を動かされて、その勢いとかエネルギーとか熱とかで、下書きを書いている。そして下書き一発目の時が楽しくて楽しくて、それと同時に語彙力の無さとか感情表現の難しさを知る時間となる。やっぱり辞書欲しい。感情をすぐひいて、自分の感動や興奮で震える感情を言葉にしたい。

 私は手紙に、すごく良かった所や、ここが好きというポイントを文章にする。読むか読まないかは別として、やっぱり自分がこんなにも幸せになって、楽しくなって、また明日頑張ろうとか次観るのが楽しみだ!と活力になるって、とんでもなく凄いことなんですよね。その凄いことへの感謝とか、わくわくとか、そういういろんな思いで舞台の感想を読み返しつつ手紙を書く。やっぱり自己満足でも、ファンレターって楽しいなあと思う。

 

 便箋とか封筒が可愛いものいっぱいある。

 一目ぼれしたデザインがあって、その一種類を買い溜めしているからだろうか。最近よく利用するお店で、そのデザインの手紙のシリーズが増えていた。どのデザインも可愛くて、特殊加工がされているとテンションあがると個人的に思う。箔押しやエンボス加工って、すごく可愛いと思う。

 私は手紙をおくる人で、デザインをこれって決めている。Aはどんな人にも、これがいいってタイプでシンプルできらりとした箔押し加工がされたすごく可愛いものを使っている。お互いに好みが全く違うから、選ぶ便箋のデザインが異なっていて、封された手紙を見るとやっぱり個性って出るのだなあと思う。

 ファンレターで検索すると、書き方だけじゃなく自分でデザインする方や、ポップアートのように立体化させる方もいる。フォロワーさんにもいらっしゃるのだけれど、そういった方のセンスや技術がとってもすてきで、そして手紙の相手をイメージしつつ創り上げるってすごくかっこいいなと思う。本当に一通の手紙がものすごく特別なものに見えて、これは受け取ったら嬉しいだろうなあとこっそり思う。

 

 ファンレターを書くようになってから、普段から手紙やメモを添える機会がぐんと増えた。物を借りた時とか、頂いたときとか、何か短くさらっとメッセージを伝えたいって時にメモじゃなく一筆箋やシンプルな封筒にイラストを添えているのだ。

 個人的に好きなのは、一筆箋。一筆箋って、可愛いものがすごく多い。紙や加工も様々で、見ていて飽きない。私はよく切手を買いに行くついでだと思って、郵便局で買っちゃう。あとは便箋選びのときに、すぐ近くにあるからピンと来てしまう場合もある。季節もののデザインは可愛いけれど、その季節を逃すと使えないので奥に仕舞い込むことだけが、反省点だろう。今も紅葉の一筆箋は仕舞われたままだ。覚えていれば秋ごろ、友人宛に添えるかもしれない。

 また、シンプルな封筒や便箋だと無印がおすすめ。白と茶色があって、レターセットもあるし別に購入もできる。何か横にイラストを添えたり、ちょっとシールを貼ったり。何かの感想伝えるにはこういうのが便利だなあと思う。それにお安く、どこでも手に入るのも大きい。コンビニでも手に入るから、急に手紙を書こうと思ってもすぐ書けるのって便利。

 それに、シールもいっぱいきれいなものも可愛いものもある。手軽な値段で楽しめるので、友人宛と、よくお手紙をくれるまだ小さい親戚宛に大き目のフレークシールを購入する。スヌーピーとか、キャラクターものもいっぱいあってわくわくする。

 

 観劇が楽しくて、その影響でこうして手紙を書く機会を意識するようになった。まあ、ファンレターに込める熱意もだけど、出す事にいろんな意味があるのだろうなとも思っている。勿論、思いを伝えるが第一だと思うけれど。

 楽しいだけじゃなく、ちゃんと日本語として正しいかどうか、もっと見直さないとなあと思う。そして、自分の思いを正確に伝えられる言葉と出会うだけの勉強も必要なのだなあ、とただただ勉強不足をこうして恥じる。ファンレターかくついでに、何かの検定の勉強でもはじめれば、何か得られるのかなあとちょっと思うので、やっぱり勉強が趣味に繋がるって面白いしモチベーションアップになりそうだなあと思いました。

 ファンレターはHP・MP削られますが、本当に楽しくてわくわくして、そして思いを文字にできる楽しさがあるので、ぜひおすすめします。