読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

チケットを握りしめて

元アンチが3rdテニミュドハマりして今に至ります

宮城公演に行ってきた

 気づけば9月になっていた。あんなに暑くて参ってしまって、はやく涼しくなればいいなと思ったくせに、段々と涼しくなるにつれていろんな気持ちが湧いてきた。
 9月3日に、SQでよく知ったキャラクターの名前の横に、知らない名前があった。部屋に戻ってページを開いて、この公式発表がある意味心に区切りをつけてきた。そうか、彼らは本当にいなくなっちゃうのか。そして、新しい人たちがまたキャラクターと共に生きるのか。
 ツイッターを開けば、知らない俳優さんの画像がどんどん回ってきた。顔写真、身長、所属事務所、資格。いろんな情報がいっぺんに頭に入るなかで、リョーマ役の子のきらきらとした笑顔を見た。もう、なんていうんだろうね、めちゃくちゃきれいな顔と笑顔で、リョーマと誕生日が1日違いで、テニスやっていましたって。そんな子がいるんだって驚きと、そのきらきらした笑顔がまぶしくって、あーそっかリョーマかあって。簡単にジャージを着る姿が想像できてしまった。あまりにあっさりと、この子かって頭でわかってしまった。そのきらめきを見る日が来ることは、近い。その事実が胸にずんと突き刺さってきた。
 そんななかで、公式ツイッターでレギュラーが光のほうへ走っていく画像が公開された。違う背中だって思った。けれど、そう思うくせに頭に描くのは今いる8代目だった。わたしがはじめてテニミュと出会ってからいままで、まっすぐに目の前を走っていた彼らの背中と、照明に負けないくらい輝く瞳を思い出した。
 それと同時に、わたしの頭の中に今までの記憶がぶわーーってよみがえってきた。さいしょに思い出したのは、不動峰楽。あの日の帰り道、いまいち覚えていない。はじめてみた日の帰り道はあんなにうつくしくて、それこそキンプリのシンくんみたいにまさに「世界が輝いて見える!」って感情で泣いていたのに、楽日はめちゃくちゃ後悔した。なんでもっと見なかったのだろうと。
 そのあとも、いろいろ思い出していた。少ない公演数なのに、記憶はいくらでもあった。そのうち、はじめて見たときのメモを読み返していた。ブログに書いたものとは違う、気持ちをそのままぶつけたメモで帰り道に書いたものだった。
 今思えば、あのはじめてテニミュを見た日に。わたしは古田のリョーマを好きになっていたんだと思う。暗闇から現れ、パッとライトを全身に浴びて「まだまだだね」とにやりと笑うあの少年に、わたしは心を奪われたのだと思う。きっと、そんな風に心奪われた人はたくさんいるんじゃないかな。
 そんなことをしているうちに、あれ今日宮城公演だって思い出した。慌ててツイッターを開き譲渡を探し始めた。席なんてどこでもよかった。今すぐにわたしの知るリョーマや青学が見たかった。
 次にあのジャージを着る人をぼんやりと描けたからこそ、今彼らがあのジャージを脱がないうちに、みなくちゃって思った。

 運良くチケットをお譲りいただけて、新幹線に飛び乗った。もう何も考えていなくて、その日宮城公演に行く予定の友人に電話をしていた。
「いまから宮城行く」
 その言葉に友人は少し笑ったけど「うん」ってうなずいていて、財布と双眼鏡とハンカチをバッグにつめて駅まで急いだ。
 仙台駅についてすぐ、友人と話しながら会場に向かった。わくわくする心を抑えきれなかった。会場について、座席まで行って双眼鏡を調整した。東京公演途中で、たしかチア男子に出ると告知があった日。リョーマを見たいって思って、防振双眼鏡を購入していた。防振の良さは、わたしがいくら泣いても双眼鏡がブレないことだと思う。いままでの景色と違って、BDを見ている気分。
 すごく個人的に思うのは、防振双眼鏡で見ていて手塚の汗の流れ方がめちゃくちゃきれい。わたしは財木の手塚をドリライで間近で見たときに、失礼かもしれないけれど、あまりにうつくしくて目の前にいるのは人間かって不安になった。あまりにキャラクターという架空の人物とリンクしていて、それがぞっとするくらいうつくしかったのだ。それと同じような気持ちが、双眼鏡をのぞくとふっと訪れる。

 きれいってこわいなあと、テニミュを見ていると思う。たぶん舞台の上にいるのは「キャラクター」という架空の人物だからこそ、現実世界において肉体を持ち息をする姿ってなんだか不思議なのだ。物語という想像の世界で息をしていても、現実の世界にそれを引っ張ってくるってなんだか憑依とかそういうものに思えてくる。それはどの2.5次元というジャンルにおいても、言えることなのかもしれない。ほかの舞台を見る機会があったら、もっとはっきりするのかもしれないなあ。

 話を戻して、仙台公演。大阪楽ぶりに見た氷帝公演は、やっぱりかっこよかった。「かっこいい」という言葉が当たり前のようにあの空間に存在しているけれど、やはりかっこいいものはかっこいいから何度でも言ってしまう。
 やっぱり青学をみると安心した。舞台に青い光の中、飛び出すリョーマ。やっぱかっこいいよなあ。SQを見たりツイッターで新しい役者を見た後だったから、余計かもしれない。

 特にトリオをみたときの安心感といったら、言葉にできない。彼らが歌いだすと、なんだか目頭が熱くなる。やっぱりテニミュにおける青学を、より魅力的にさせるのはトリオあってこそだと思う。彼らがいなかったら、魅力って減ってしまうのではないかなあ。
 試合をするレギュラーの動きをダンスに取り入れているのかな。あの動きがすごくすき。ダンスも歌も、どれもトリオはすごくいいなあって毎回思っている。ちゃんとした言葉にしたことあまりないけれど、やっぱり彼らがいてよかった。彼らの笑顔には、ほっとさせるパワーがある。ベンチにいて応援する姿の一生懸命さは、試合の熱さを伝えてくれる。そしてなにより、彼らのきらきらとした目線の先にあるレギュラージャージ。まっすぐ向ける憧れの目は、レギュラーをより輝かせてくれる。やっぱりテニミュにトリオがいてよかった。もしテニミュが今後も続いたら、荒井先輩たちも出るのかなあと思うとわくわくしちゃうなあ。トリオとはまた違った角度で、リョーマやレギュラーを見る人がいるって大切だと思うんだよなあ。

 1幕から3幕まで、どれも熱い試合だ。それでも手塚vs跡部の話をするのは、彼らが背負うものの重さを読者として知っているからだ。そして、彼らの白熱する試合を体いっぱい表現してくれる役者さんがいて、それがとてつもない熱を持っているからだ。*1
 三浦くんの跡部、東京公演じゃジブリに出てきそうだなって思っていた。なのに今じゃ原作のままっていうか、顔つきや余裕がだいぶ変わったと感じる。でも、福岡公演や海外公演を経た三浦くんの跡部は、もっともっと強くなり余裕たっぷりであると信じている。跡部の持つ自信と強さ、それを見たい。大阪楽でみた跡部が個人的に最高すぎて*2でもそれを超えるものをきっと見せてくれるのだろうなあと思うと、いまから胸が熱い。

 財木の手塚は、強くてうつくしい。そして舞台に立つと、手塚国そのものだと思う。鋭く相手を見据える姿が、1コマ1コマ原作を思い出させる。凱旋で、彼はより強い手塚になってくる。わたしはそう勝手に思っている。そう期待をして、その何倍も何倍もかっこいい姿を見せてくれるのだろうって思えるくらい、財木の手塚がすきだ。
 両者試合中に苦しい顔をする。声も、顔も、苦しさでゆがんでいく。動くと汗が飛び散り、見ている者まで苦しくなる。だからこそ、終わったときほっとする。
 3幕前に、今日も勝てますようにってこっそり祈るような気持ちになる。だれが勝てますように、というより、ふたりが悔いのない試合ができますようにというような気持ちに近い。きっと、わたし以外にもそう祈るような気持ちの人はいるのではないだろうか。どっちが勝つか、わからないような試合をみるのだ。もしかしたら、という可能性を信じずにはいられない。テニミュってそういう魅力がある。
 試合後に拍手がふたりを包む。シングルスの選手は、あのたくさんの拍手や思いをたったふたりで受け止めるから、どんな気持ちなのかなあと帰り道に考えることがある。それくらい、あの瞬間いろんな感情がふたりにぶつけられていると思う。ベンチに向かうふたりの部長の背中は、とても大きく見えた。

 すすり泣く声が聞こえる中で、リョーマvs日吉の試合がはじまる。この試合、好きなんだけどつらい気持ちになる。東京公演からその「なんかしんどい」って感情を抱えたまま、わたしは見続けている。なんでって理由は未だにはっきりとしないけれど。手塚vs跡部とは違った気持ちだ。
 下剋上を歌う日吉が、最初に見たころとは比べ物にならないくらいに強くなっていたり、それにちょっと笑って「下剋上って何言ってんの」というリョーマもさらに強くなっていたり。
 もうリョーマのベストテンションとか試合とかは、言葉にできなくて。もう、頭空っぽにしてみている。
 この曲は、古田一紀を思い浮かべる。リョーマの心情でもあるのに、古田というリョーマと共に駆け抜けた少年を連想させるのだ。それほどふたりの感情がリンクしていると思って聞いているけれど、あえて意図的に役者に寄せているのかもしれない。でもリョーマとしての感情って言われれば、すごく納得もする。リョーマと、リョーマを演じる古田ふたりがその歌に存在している。
 けれどいつか、これを別のリョーマが歌う日が来るのかもしれない。そのとき私は、リョーマの気持ちとしてその曲を聴けるのかなあ。たぶん頭の中に、思い浮かべちゃうんだろうなあ。

 その後の曲もいっぱいいっぱいの感情でみて、きいている。終わりに近づけば近づくほど、曲が盛り上がっていく。
 青学が1幕で「オールフォーテニス」「全てはテニスのために」と歌うものが、3幕でも歌われる。1幕で、「全てはテニスのために」と学校名の入ったジャージをぎゅっとつかみまっすぐに歌う姿と、3幕での姿は違って見える。同じ歌詞なのに、その言葉の重みがより増すようなのだ。

 その言葉が、全国を目指し突っ走る青学レギュラーらしい言葉であると同時に、役者としての彼らの決意のようだった。「テニスの王子様」のキャラクターとなる以上、ファン側からみえないたくさんのものが彼らを縛っていたと思う。勝手な想像だけど、もしそのたくさんのものがあったとしたら、彼らはいままで色々なことがあったのではないかなあ。役者という舞台に立つ存在は、偶像だとわたしは思っていて、そんな彼らの仕事をする1面をみて勝手にああだこうだ言っては応援している。勝手に好きになって応援して、勝手に彼らのきもちを考える。ファンと名乗るのも、ある意味勝手な事だなあと思う。
 けれど、彼らが一生懸命にやっている姿は少ない数だけれど、この目でしっかりと見て信じてきたものだ。彼らが一生懸命に役と向き合ってくれて、そしてあの舞台が成り立っているとしたらこれほどまでに有難いことはないと思う。その信じるという気持ちが、わたしにとっての応援でもあり、チケットへと変わっていった。応援する形はいろいろあると思うけれど、こうして実際に見て心をがんがん揺さぶられるってすごく楽しい。こんな風に考えることができたのも、こうして舞台を見るようになってからだ。いろいろな事を思ったり考えたり、本当にいろいろなきっかけを貰えたんだなあ。

 凱旋で、ニューウェーブがきたらどうしよう。きっと泣いちゃうなあ。彼らの起こした波だ、さいごは彼ら自身が再び波を起こしてたくさんの人の感情を動かしてほしい。つい期待してしまう。

 とりとめもなくだらだらと書いたけれど「さみしい」という感情は、この胸にくすぶったままだ。つらいなあって、しんどいなあって。でも、彼らの未来を見てみたいって気持ちだって同じくらい強い。チア男子楽しみだ。想像と配役逆だったので驚きを隠せないけれど、12月まで頑張ろうって思えた。
 最近ではDVD登壇者の名前がわかったり、PPの当落があった。申し込んだり、振り込んだり、発券したり。そんな慌ただしい日常を過ごしていると、もう目の前に凱旋公演がやってきてしまう。
 さみしさとか色んな感情を持ったまま、わたしは双眼鏡をのぞく。どんな縁なのか、不動峰大楽と氷帝大楽の座席がとても近かった。まるで、はじまりとおわりの場所のようで、今後あの場所に座ったら色々考えてしまいそうって今めちゃくちゃ思っている。
 凱旋まで、あと少し。現在公演中の福岡公演、そして目の前の海外公演。怪我や病気なく突っ走って、東京まで帰ってきてくれますように。
 わたしはTDCで、彼らを待ちます。氷帝公演、さいごまで楽しんで悔いのないように観て、彼らの卒業を見届けたいと思う。

*1:それはどの試合、どの役者さんにも言えることだけど

*2:あの笑みを浮かべながら話す様子、本当によかったなあと個人的にすごく印象に残っている