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チケットを握りしめて

元アンチが3rdテニミュドハマりして今に至ります

一年前のわたしへ

 はてなブログは、一年前に書いた記事がメールで送られてくる。

sattotto.hatenablog.com

 ちょうど、卒業発表されたSQのはなしだった。あの雨の日をぼんやりと思い出して、懐かしく思った。読み返して、一番に思ったのは呼び捨てでごめんなさいということだった。あの時、なんでかそう呼んでいたけれど今だとくん付けかさん付けが基本になっている。

 あと卒業について書いてあるけれど、大丈夫だったよ。たしかに、苦しい気持ちもあったけれど、ちゃんと今のリョーマを見れている。あの背中をただ見たいという理由で、自分の時間の精一杯をあの夏にささげたことはしあわせなことだった。それに「今が楽しい」と言ってくれるような人を応援できて、本当に良かった。過去ではなく「今」を、そして未来を見据える人を応援することはとても楽しいし、自分も前へ前へ進むことができる。とてもありがたいなと思うし、そういう考えに救われている。本当に古田くんは、そういうところがかっこいいしすてきだなあとしみじみ思う。
 あの時のわたしは、様々な事が重なってぎゅうぎゅうに押しつぶされた状態だった。チムライを終えてたのしかったという感情をふわふわさせていた矢先の出来事に、当時驚きと戸惑いでいっぱいになったのを覚えている。そしてその気持ちを引きずったまま、ドリライでボロボロになっていたなあってしんみりとした気持ちになった。


 先代卒業後の公演あたりから、公式SNSのチェックを行わなくなった。意識して行わないというわけではなく、あたまの中からすっぽりと抜け落ちてしまっていたかのように忘れていた。つい先日のドリライの申し込みでテニモに久々にログインしたときに、ああそういえばとても久しぶりに開いたなあとしみじみ思ったくらいだ。
 いつのまにか、わたしはテニミュのファンなのかとても曖昧になっていた。自分のなかでいま、あの夏のように熱中しているかといえば、そうではないという結論があったからかもしれない。もう、あの夏のように朝まで譲渡を探して西へ東へ新幹線に飛び乗るような、そんな気力をもって応援するまでの熱があるかと言われればないに等しかった。
 熱ががくんと下がったのは、交代したからではない。むしろ彼らを見るのを楽しみにしていたし*1新たな門出を祝いたい気持ちもあった。じゃあ何かと思ったら、きっと自分の思い描くキャラクターと一致しなかったことが大きかったのだと思う。なんて贅沢な悩みなのだろう、と思う。
 ブログのどこかで書いたけれど、わたしは「キャラクターのできることをする役者」がみたかった。役者ができることをするキャラクターは、見たくなかった。それは今までの公演で細かくちりばめられていたかもしれない。けれどぴりりとするほど気にしていなかった。氷帝戦ではあくまで「強さの表現」として受け止めていて、そのうつくしさを唯一無二に感じて素晴らしい方が演じてくださったことを手放しに喜んでいた。あの特技は一朝一夕で出来るようなものではないし、長年の役者さんご自身の努力や経験があってこそで本当に素晴らしい特技だと思う。それはキャラクターの持つ本質にとても近いものに思えた。
 けれど今回は「表現」というわたしの思う場所から飛び出していた。たかがセット、されどセット。頭の固いオタクだと言われればそれまでだが、あれを初日にみた後にわたしは持っていたチケットを友人に譲ってしまった。あれほどテニミュが好きで、みたくてたまらない!とわくわくしていたわたしは、チケットと共に消えたのだと思った。あまりにも贅沢すぎるはなしだと思う。
 上の理由があったのもあって2回しか行かないという選択をしたのはわたし自身で、それがその時にあった熱量のいっぱいいっぱいなんだなあと思った。日程的に厳しいといえばそれまでだけど、日程的に厳しくたって精一杯行けるときは行けたという謎の感覚があった。ツイッターで流れてくる情報や感想は、実際にその場にいないから鵜呑みにはできないので、事実かどうかも分からないため知らない顔をしていた。たぶん先代の時だったら、怒りがふつふつと湧き上がってくるような感情になったかもしれない。それは原作がすきという思いと共に「テニミュがすき」という感情があることを前提にした場合だと思ってしまった。けれど公演期間中に感じたのは怒りでもなく、ふうんっていうあまり興味のないことへの反応だった。
 ドリライもそうだ。以前はあんなに行きたくてたまらなくて仕方がなかったのに、いまは行けたらいいなくらいの気持ちになっている。チムライに関しては、気合いの入れ具合に驚いているだけで行く予定をいれなかった。やはり学校ごとに扱いの差が目に見えて激しく、それに対して批判的な声をよく見かける。カウントダウンを二種類もやるとは思わなかった。でもきっとファンはうれしいのだろうなあと思うと、批判する気持ちはない。わたしだってその学校がすきだから、ファンの気持ちだってわかる。でも今までの学校もそうしてほしかったよねと言われれば、頷いてしまう。だって好きだからこそ、大切にしてほしいし自分のなかでもしたいのだ。とてもむずかしい話だと思う。
 いま、わたしはぽっかりと穴をあけたような状態だ。でもその穴は日常生活で埋まることができる。テニミュに対するわくわく感は、身近なものでは決して埋まることのないものだと思う。けれどそれに似たわくわくはいくらでもあるのかもしれないと思うと、かなしいなあとぼんやりと考えるようになった。

 

 そんな風にテニミュから一歩引いた場所にいたときに、立海が発表された。
 関東立海、それは原作でもわたしがしんどいなあと思う試合だった。同時に、幸村くんがこの世にいるんだっていうぱあっと世界が明るくなるような不思議なわくわく感だった。
 わたしは原作が大好きだ。原作ではどの試合もどの学校もすきだし、でもひとりひとりに向ける感情やすきの種類は似て異なっている。そのなかでも、知りたいという感情を向けるのが幸村くんだ。はやく彼をこの目でみたいと思った。
 関東立海は、リョーマvs真田の試合がある。リョーマの試合はどれも好きだけど、あの試合は重たくて重要なものだからこそ、ちらりと不安がよぎる。前公演では試合がないからこそ、未知数だ。阿久津くんに対する期待は大きく、きっとお稽古などでどんどん強い姿をみせていくのではないかと思うと、不安とたのしみで感情が大きく揺さぶられるような感覚になる。真田くん役の役者さんにも強く期待をしているので、いまから関東立海を心待ちにしている。はやくリョーマの試合がみたい。

 去年のわたしは、未練たらしく先代の彼が幸村くんと出会うことを望んでいた。けれど今は違う。たしかに、完全にないと言えばそうではないけれど、ゼロに近い状態までその未練は消えている。だって古田くんが今を生きていることが、わたしはうれしくてたまらないし、それを応援しているからだ。それに、阿久津くんに対しての期待でいっぱいなのだ。大丈夫、きっとすてきなものを見せてくれるはず。だから、夏にまた会うことを、見ることを、こころから楽しみにしている。早くTDCで、あの青いジャージをみたい。
 悩んだTSC継続をすぐに決めた。きっと後悔しないはず。なんとなくだけど、きっとすてきなものをみせてくれるという気持ちになった。テニミュに対してこんなにも明るい気持ちになったのは久々で、だからこそどうか舞台初日まで、それから終えるまでに何事もないことを祈っている。楽しみで仕方がない。


 前半であまり気持ちのいい内容ではないことを書いたのは、一度きもちを整理したかったからだ。もし嫌だなあって読み返した時に思ったら、その時はそっと下げます。ただ今はこういう考えだったけど、楽しみになったなあって気持ちでいっぱいで、あまりネガティブではない。誤解を招くような書き方をしているので補足しますが、あれは役者さんご自身に対してどうこう思うんではなくセットや演出等の制作側へ思うもやもやです。役者さんは特技を抜いてもすてきな試合をあの夏に見続けていたので、今後もっともっとご活躍されることをこころから願っています。
 楽しみだと思える気持ちを持たせてくれてありがとう。はやく継続の手続きをしよう。夏はもうすぐだ。

*1:最初の演出だけはどう受け止めていいのかわからなかった